懐かしく思う場所や風景はいろいろありますが、今日はたまたま、とある場所が頭に浮かんだので写真を探してみました。
この場所、というかこの鉄橋は、正式には城東貨物線(現在 おおさか東線のはず)の淀川橋梁と呼ぶのだそうです。
幼少から社会人になるまで、ここには歩いてこれる距離の所に住んでいました。
トラスの数が18なので「十八門鉄橋」って呼んでました。地元ではみなそう呼んでました(と思う)。
写真のEXIFを見ると撮影日は1999年の5月8日。この時代のEXIFにはカメラ名までは出ておらずメーカーがOLYMPUSであることしかわからない。この時代のデジカメで買った記憶があるのはCAMEDIA C-1400L。結構高かったので(ヨドバシカメラ横浜店の)店員さんを相手に値切った記憶がある。当時まだ関東に住んでいたので連休に帰省した時に撮ったものと思う。このころすでに結婚もして子供(長男)がいたので連れてきて撮ったのだろう(数枚映っている写真があった)。
1999年の写真では鉄橋は貨物の単線で列車の反対側(写真では左側)は人や自転車が通れる歩道になっていました。このころはどうだったか記憶があいまいですが、幼少時の歩道は板張り(写真をよく見るとまだ板ですね)で所々割れてたり補修中のだったりと(淀)川の上でそのような箇所に出くわすと、割れ目から川が見えたりして渡るのにスリルがありました。懐かしぃ。
このような頃から、この(貨物)線はいずれ複線になり新大阪から環状線まで電車が通る(今のおおさか東線)、なんて話があったのですが、結局私が近くに住んでいた時には貨物のままでした。
おおさか東線の開業が2018年ごろで、その前に複線化工事のため鉄橋の歩道が閉鎖されることになったそうですがその時は結構な人でにぎわった、という様なことを母から聞きました。結局閉鎖された後にしか再訪することができなかった。(と思ってたら2011年のお盆休みに帰省したらしく写真がありました(2023/8/15追記))
おおさか東線開業後の2019年にたまたま用事があり、それに乗って実家を訪れ、その帰りに撮った写真がこれです。
これは新大阪側の対岸の鉄橋の下ですが、この場所がまたなんとも懐かしい、よく遊んだ思い出多いところです。
幼少時には単独では来れない距離だったので、単独や友人とは小学校中~高学年以降に来るようになったところですが、なんとも秘密基地っぽさのある空間だったなぁ。
老朽化や再開発で懐かしい思い出のある建物などが取り壊され立て直しされる中で、よく残ってくれたなぁと思いました。まあ、歩道が無くなり複線化したことで歩行者が渡れなくなったりはしましたが、鉄橋そのものはまだ現存してますし、周囲もそれとなくまだ雰囲気を保っているように思えます。
ありがたいなと思いました。
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